『ウォーキング・デッド』シーズン1 崩壊した世界の人々の決断

  もうブームになってからずいぶんと経つ『ウォーキング・デッド』を今更見てました。

 

  まあすごくオモシロイ!目が話せない!

  なぜこんなにも面白いのか、自分なりに振り返ってみた

 

 

 

 今回僕が見たのはシーズン1。ゾンビが街に溢れ、人間のコミュニティが衰退した少し先の現代。

 

 主人公のリック(保安官)は、崩壊した世界の病院で昏睡状態から目覚め、戸惑いつつも少しづつこの世界の状況を知っていく。

  人間は生き残っているのか、ゾンビは治療できるのか、そしてリックが死んだと思い込みリックの親友と付き合っている自分の妻と息子との関係の行方はどうなるのか。

 歩く死者"ウォーキング・デッド"を取り巻くドラマは止まらない。

 

 

  このドラマで僕が魅力に感じた点は2つある。

  まずはキャラクター。文明が崩壊した世界の中で個性豊かなキャラクターたちは多種多様な価値観を持つようになる。

  主人公のリックは倫理的にも現代と変わらない正義観を持っている。なるべく人は死なせない。困っている人は助ける。家族や友人を大切に思う。

  これらは他のキャラクターから数年遅れで目覚めたことも背景として考えられている。

  リックの保安官時代の親友シェーンは、状況をより良くしようとするがシビアなリアリズムと独善的な行為から、周囲からの批判的な目に晒されることが多くなり壊れていく。

 元ドラッグディーラーのダリルは血の気が多く粗暴な男ではあるが兄であるメリルのために激昂したり仲間を救うために残酷な手段を厭わない独特の価値観を持っている。

 

  上に上げたキャラクターは一例であり、他にも様々なキャラクターが登場し、それぞれに価値観の元となるバックボーンとそれらを示す行動が描かれている。

 

  価値観が行動につながる。この前提を抑えていくと、このドラマはゾンビによって滅んだ世界を生き抜く人間が本当に多種多様な価値観を示していくことを楽しませてくれる。

 

  仲間の一人がゾンビに噛まれ感染したとき上記の三人ならどういう行動を取るだろうか。

  ダリルは殺そうとする。リックとシェーンはなんとか生きさせようと説得する。

  これだけでも立派なドラマ足り得るのだが最終的に感染した男は自らを道端に置き去りにするように頼む。妻と息子がゾンビに襲われている最中に逃げ出したことに対する罪悪感があったのだ。

  終末モノでは主人公たちに様々な予測不能な障害が立ちふさがるが、本作ではその障害に対するリアクション(行動)が本当に豊かなのである。

 

  もう1つの魅力に、演出や構成でしっかり見せてくれると言うのがある。

  第一話冒頭、リックが病院から出ていくシーン1つとってもそうだ。

  リックが病室から廊下を渡り外へ出るまでのシークエンス。カメラはリックの視線の先を映さない。視聴者にリックの持つ情報の常に1歩後を見せる。これにより

 

  リックが状況をみたリアクションー視聴者は何を見たのか気になるー状況を映すー視聴者驚くーリック次の場所を見たリアクションー視聴者気になる

 

と言う"続きが気になる"の連続で目が離せなくなるのだ。

  こういった丁寧なサスペンス的な演出が随所に光る『ウォーキング・デッド』。

 

  後半のシーズンがあんまり評判よくないのが不安だが、歩いた先に何があるのか楽しみに見届けたいと思う。